CHALLENGERS' VOICE
守るために何ができるか考えろ
株式会社ROLLIE 代表取締役
小林 大貴 Kobayashi Daiki

東京都町田市出身。帝京大学病院にて看護師として経験を積み、その後訪問看護分野へ転身。豊富な現場経験を背景に株式会社ROLLIEを創業し、エリー訪問看護ステーションを立ち上げる。現在、湘南エリアを中心に地域医療の発展に尽力している。

https://rollie.jp/

海風をまとう金色の若武者

湘南。その名を聞けば、歴史と自然が織りなす風情豊かな海辺の街並み、時を超えて息づく伝統と新しき風が共存する楽園のような場所を想像する。そして海岸線に広がる柔らかな砂浜や、潮の香り漂う風景、太陽を全身で受け止めるサーファーたちの姿が脳裏を瞬く間にかすめる。ここは、古くから波の音に耳を傾け、潮風に心を洗われる場所であり、同時に現代の様々な活力が交錯するエネルギッシュなフィールドでもある。 そして湘南は、決して“海のレジャー”だけが魅力ではない。古くは鎌倉幕府が置かれたこの地域には、武家文化を色濃く残す歴史の足跡がある。それは瓦屋根の寺社や険しい山道、そして今も残る人々の気質までを支えてきた「武士の魂」とも言えるようなものだ。暖かな気候と独特の海洋文化、そしてかつての武家が培った誇り高き風土…この相反するように見える二面性こそが、湘南の奥行きの深さを匂わせているに違いない。 そんな湘南の地に根ざし、地域医療の未来を切り拓くべく、株式会社ROLLIEは訪問看護ステーションという形でその存在感を示している。そして、その先頭に立つのが、情熱と知性、そして「大胆細心」というモットーを体現する小林大貴代表である。一見すると穏やかで、介護と医療のあいだを静かに取り結ぶ仕事…そう思うかもしれない。だが、そのイメージをエリーは鮮やかな黄色いバイクでひっくり返す。湘南の街を駆け抜ける真っ黄色な車両。そこには、医療従事者としてのプロ意識と同時に、「街をデザインする」という遊び心や情熱が乗っているようにも見える。 「好きな街に住み続けたい人のために、そして自分たち自身が“ここが好きだ”と言える街を守るために何ができるか。」そう問いかけながら、小林は“看護師”の枠を超えた事業経営に挑んでいる。その姿勢は、さながら大胆不敵な武芸者が一瞬の隙を突いて剣を振るうかのような、“攻め”の姿勢そのもの。けれども、足取りが軽やかなのは、まるで肩に背負うものがないかのように見えて、実は小林自身がこれまでに多くの挑戦と痛み、そして自分を奮い立たせるいくつもの“激流”を経験してきたことに由来するのだろう。

インタビューの様子

“安定”という脆さ

ロゴの入ったバイク

物語を少し遡ろう。小林氏は東京都町田市出身。母親が看護師だったとはいえ、当初は航空機の整備士を目指したり、バイクをいじるのが好きだったりと、自らの将来像をはっきりと見いだせない時期があったという。多くの若者が抱える「安定したいけれども、何か燃えるようなことをしたい」という衝動と不安定さ。彼もまたその迷いの中にいた。 小学生時代、クラスの前で作文を読み、涙を流すほどに内面の葛藤を抱えながらも、高校生になると周囲の期待に背中を押され、応援団長としてのリーダーシップに初めて挑戦。そこから、自分が見た「内弁慶な自分」と、他者が見た「堂々とした自分」とのギャップに気づき、その両面性を武器に変えていったのだ。22歳の時には、エイサー団体の会長として、東日本大震災後の復興支援に奔走し、福島の地で人々に元気と希望を届ける。その経験が、彼の胸に「人の命や生活を大切にする」という確固たる信念を刻み込んだのである。 「人を相手にした仕事がしたい」という思いが強まり、看護師の道を選ぶ。現場では無数の困難と向き合いながらも、常に現場の声に耳を傾け、真摯に仕事に取り組んできた。帝京大学病院では、高度救命救急センターと神経内科の厳しい環境の中で、命の重さと向き合う日々を過ごし、先輩看護師からの熱い指導を受けながら、医療従事者としての自覚と誇りを深めた。特に、師長から「自分の家族だったらどう思う?」と問われた言葉は、彼の看護観の根幹となり、「大切な人の大切なものを大切にする」という理念へと昇華していく。 一方で、若いうちから「訪問看護」に興味を抱いたのは、実際に病院という組織の中で働くうちに、「安定」というものが意外にも脆く見えたからだ。大病院でも経営の赤字や人員不足があり、看護師だからこそ味わえる苦労と限界が見えてきた。さらにはキャリアの選択肢も、病院内で役職を上げるか、専門分野を極めるかくらいしか思い当たらなかった。けれど、彼は“もっと自分の手で、未来を作るにはどうすればいい?”と考え始める。 誘いを受けて訪問看護の世界へ飛び込み、新規拠点の立ち上げや管理職を任される。しかし、そこでは一筋縄ではいかない経営の荒波とぶつかる。社長との方針の違い、スタッフの引き抜き問題……若き看護師がいきなり経営の最前線を踏むことは、彼にとって“自分が何者でありたいか”を再定義する作業でもあった。最終的には自らが代表となってエリー訪問看護ステーションを興す。その決断の背景にあったのは、自分と同じように働く若い看護師やリハビリスタッフ、特に妊娠・育児を代表するように、女性がライフステージの変化を迎えながらも、安心して働き続けられる場所を作ること。それを実現するには、訪問看護ステーションを複数出店し、周囲の店舗が互いに連携し合う仕組みを作らねばならない。逆説的に言えば「規模の拡大が、個人の幸せを守る最短ルート」であったのだ。

看護師が駆け回れる足場づくりを

とはいえ、ただの量的拡大には終わらない。“湘南という街そのものを元気づける”という思いはまるで通奏低音のように流れている。バイクが好きだから、ただバイクに乗るだけではない。“黄色い”バイクにこだわり、街の中で目立ち、むしろ風景の一部になってしまおうとする発想…まるで湘南の海辺に押し寄せる波のごとく「医療」の仕事を一気に身近に感じさせるための演出だ。 多くの人は医療や介護を必要とする瞬間を、まだ“遠い出来事”としてしか捉えられない。たしかに、それは必要とされる時期が来るまで、実感することは難しいだろう。だが、人生のどこかのタイミングで必ず訪れる在宅療養という現実。そこへ届ける看護・リハビリを「かっこよく」見せて若い人材も「もし自分や家族が困ったら、ここがある」と地域住民も、全員がポジティブに向き合えるように仕掛けていく。その大胆さこそがROLLIEの真髄である。 彼が成し遂げてきたことは、まさに「二刀流の構え」を彷彿とさせる。訪問看護ステーションという医療サービスの提供者でありながら、人材育成や仲間のライフステージを支える経営者としての顔を持つ。まるで宮本武蔵が、両手に持った刀をまったく違う角度とリズムで操り、対峙する敵に対して間合いを崩させるかのように、小林は“医療のスペシャリスト”と“経営者”という、二本の刀を華麗に使い分けているわけだ。 プロフェッショナルとしての現場への強烈なこだわりは今も消えていない。「医療のプロとして察し、人として大切にする」という行動指針は、スタッフ一人ひとりの業務に染みついている。救命の最前線で叩き込まれた“本気”は、そのまま訪問看護の現場に溶け込む。ほんの数十分の訪問であっても、その時間にすべてを注ぎ込み、利用者の方と家族の人生に寄り添う。それは血と汗と涙を知る看護師でなければ発せられないオーラであり、“アドレナリンが出る仕事”を愛する彼ならではの根っこの強さだ。 そしてもう一方では、ビジネスオーナーとしての冷静な目線が在る。各拠点の人員配置、夜間オンコールの仕組み、スタッフが妊娠や出産しても負担が重くならないように店舗網を組み上げる。あくまでスタッフがイキイキと働ける土台を築くことこそが、利用者へ安定したサービスを届ける前提になる。その理詰めの組み立て方は、宮本武蔵が著した『五輪書』の「地の巻」で述べられる基礎・足場づくりにも通じるかもしれない。武蔵が芸術的な剣筋を振るうためには、足元が崩れていてはならない。看護師たちが自由に駆け回るためには、しっかりとした組織と経営基盤が不可欠なのだ。

インタビューの様子

地域医療のモデルケース的存在へ

宮本武蔵が“二刀流”を確立したように、小林も“医療”と“経営”という二刀を同時に振るうことで、これまでの訪問看護ステーションがもつ常識を超えるサービスを作り出している。その姿はポジティブであり、周囲を鼓舞する。利用者もスタッフも「この人がいるならきっと大丈夫だ」と、安心感をもらえるのではないだろうか。 エリーの今後の展望は、訪問看護という枠を超えて“地域医療のインフラ”となることにある。看護師やリハビリスタッフに加え、ケアマネージャーや介護福祉士などを自社でまとめあげ、いつかは有料老人ホームの運営すら視野に入れる。それは要介護者が「好きな街」で、病院ではなく自宅や施設で最期まで過ごせるようにするためだ。家族が安心して支えられる仕組みを作りたい。その一心が、次なる拠点へ、そしてさらにその先へと彼を突き動かす。 最後に、若い世代へのメッセージを小林は紡ぐ。「準備ばかりしている暇があるなら、一歩踏み出せ。自分が不足しているところは、動きながら見つければいい。」宮本武蔵もまた、書を捨てずとも、実践を通して己の剣を磨き続けた。多くを考えて足がすくむより、まずは動き出し、その過程で不足を補い、次なる戦いへ挑む。それが“大胆細心”という言葉の真髄ではないか。 令和という新たな時代に突入し、訪問看護はこれまでの歴史を踏まえつつも、幾多の光と影を映し出している。家庭で迎える看護師の笑顔は、単なる医療行為を超えて、孤独や不安を抱える人々に寄り添い、希望の光をもたらす。その一方で、高齢化社会が進む中で、訪問看護を担う人材の不足、激しい労働環境、そして医療資源の分散という現実は、制度の根幹に疑問を投げかける。家族が支える介護の中に、専門職の力が必要とされる一方で、その負担は時に個々の努力だけでは到底補いきれない壁となって立ちはだかる。だからこそ、これからは社会の変容とともに、訪問看護は柔軟にその形を変えていくことが求められる。医療費の抑制、在宅での生活支援、そして地域コミュニティの再構築…これらは訪問看護が担うべき多層的な使命かもしれない。国家や地方自治体の支援、そして何よりも現場で働く看護師たちの熱意と創意工夫が、未来への扉を開く鍵なのだ。私たちは、単に過去を振り返るだけでなく、その積み重ねが示す可能性を信じ、新たな医療のかたちを模索していく責務がある。 湘南の海に映えるROLLIEマークが描かれた黄色いバイクは、まるで新時代を告げる疾風のように街を駆ける。武士の歴史を宿すこの地で、病や障がいを抱える人々に「安心して暮らせる明日」を届けるという挑戦。大きな夢を描きながらも、一瞬一瞬に全力を注ぐ姿勢には、宮本武蔵の剣の軌跡がある。そして、それは決して特別な人だけの物語ではない。誰もが、自分を奮い立たせる“剣”を持ち、実際に振るってみればこそ、新しい風景が開けるのだ。

社屋外観