CHALLENGERS' VOICE
無駄を恐れるな
横浜FC C.R.O
内田 智也 Uchida Tomoya

三重県三重郡菰野町出身の元プロサッカー選手。四日市中央工業高校を経て、2002年に横浜FCでプロデビュー。MFとして活躍し、大宮アルディージャ(現・RB大宮アルディージャ)、ヴァンフォーレ甲府を経て再び横浜FCへ復帰。2017年に現役を引退し、現在は横浜FCのC.R.O(クラブ・リレーションズ・オフィサー)として地域貢献や事業拡大に尽力している。

https://www.yokohamafc.com/

横浜FCの血液を循環させる者

プロサッカー界の現実は、美しいだけではない。華々しい試合の裏には、泥臭く戦い続けるスタッフと選手たちの姿がある。勝者がいれば、敗者もいる。歓喜があれば、絶望もある。それがスポーツの本質であり、魅力でもある。 世界的に見れば、サッカーは単なるスポーツの枠を超え、巨大なビジネスへと成長してきた歴史を持つ。19世紀のイングランドで生まれた近代サッカーが世界各地に波及し、FIFAワールドカップやUEFAチャンピオンズリーグといった大舞台を通じて莫大な経済効果を生み出す存在になったことは周知の通りだ。そして日本でも1993年のJリーグ創設以来、サッカーは地域密着型ビジネスとして独自の進化を遂げている。企業広告やメディア露出、スポンサーシップに加え、地域コミュニティとの連携やホームタウン活動が不可欠な要素となり、スポーツが“勝ち負け”だけに留まらない可能性を見せ始めている。 横浜FCは、そんな日本のサッカー史の中でもひときわ異彩を放つクラブだ。もともとは1999年に消滅した横浜フリューゲルスを前身とし、サポーターや有志がゼロから立ち上げた市民クラブとしてスタートした。ほかのJリーグクラブと比べ、スポンサー企業やスタジアム環境などの面で恵まれた条件が多いとはいえない。しかし「地域や市民が主体となってクラブをつくる」という希有な成り立ちゆえに、ファンやサポーターとの距離感が非常に近い。運営面では規模の大小を超え、何よりクラブ全体で「社会貢献」「ホームタウン活動」を重視するカラーが際立っている。資本の力だけでは成し得ない、ファンとクラブが一体となる“文化”の構築。それこそが、このチームのアイデンティティだ。横浜の街に根付く青と白のエンブレム。それは、ただのクラブチームの象徴ではない。城彰二、中村俊輔、そして“キングカズ”三浦知良…横浜FCという名のもとに、情熱を捧げてきた者たちの誇りであり、夢であり、戦う理由である。 そして今、その最前線にクラブスタッフとして立ち続ける男がいる。横浜FC C.R.Oとして活躍するのが、内田智也さんだ。元はプロサッカー選手として横浜FC、大宮アルディージャ、ヴァンフォーレ甲府などでプレーし、現在は横浜FCの“顔”のひとりとも言える存在である。C.R.Oとは、選手でも監督でもないが、アンバサダー的な立ち位置を軸に活動を行っている。更には地域コミュニティ本部長としてもさまざまなステークホルダーとの窓口を担っている。ホームタウン・普及の本部長やスクール事業の統括、さらには保土ケ谷スポーツセンターと神奈川スポーツセンターの指定管理にも携わるなど、一人で四役をこなす。いずれも「サッカーを入り口にして、どう地域に必要とされるか」を考え、現場に足を運び、具体的な行動を起こすための仕事である。「僕の役目は、クラブがより愛されるための架け橋になること。そのためにできることは、すべてやりたいです。」 ピッチの外での戦い。クラブとファン、地域と選手を結びつける存在としての使命。だが、それは決して簡単な道のりではなかった。

現役時代の内田氏

“小さな巨人”

インタビューの様子

内田のサッカー人生は、順風満帆ではなかった。三重県の菰野町で生まれ、幼少期から兄の影響でサッカーにのめり込んだ。166cmと小柄な体格だったが、それでもサッカーが好きでたまらない。じゃあどうするか。彼が出した答えはシンプルで、ひたすらドリブルを磨き、体力を鍛えることだった。体格では負けても、走力とテクニックで勝負すればいい。夜遅くまでグラウンドに残り、筋トレやランニング、ドリブル練習を繰り返した。小柄ゆえのハンデを武器に変えようとする執念は、中学時代からノートをつけて自己分析を続けたことでも表れている。今日のできたこと、できなかったことを書き留め、明日はどう改善するかを考える。夢を叶えるための愚直な努力を3年間続けた。このスタイルは後にプロになってからも活かされ、逆境に対処する糧となっていく。 四日市中央工業高校時代、全国高校サッカー選手権に出場し、名を馳せた。その後高卒で横浜FCに加入し、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせる。当時J1リーグ所属の大宮アルディージャ、ヴァンフォーレ甲府を経て、2012年、再び古巣である横浜FCへ活躍の場を移した。Jリーグ通算309試合出場、23ゴール。見る人によっては決して華々しいスタッツではないかもしれない。しかし、彼のプレースタイルは、まさに職人のようだった。派手な技よりも献身的なプレー。チームのために走り続ける男だった。 プロ生活では攻撃的MFとしての才能を発揮し、柔軟なドリブルと運動量でチームの攻撃を活性化した。しかし、内田さん自身は「常にもう少しやれた、という悔いはあった」と語る。競争の激しい世界では、たとえ来季の契約を勝ち取れても、ポジションの保証はない。またチーム内の競争に勝たなければ試合出場の機会は掴めない。怪我や契約、試合結果など常にプレッシャーと隣り合わせなのがプロスポーツ選手の宿命である。 そして2017年、プロサッカー選手としてのキャリアを終えた後、第二のキャリアへ。C.R.O(クラブ・リレーションズ・オフィサー)という立場で、今もなお横浜FCのために戦い続けている。かつてピッチで駆け抜けたスピードとテクニックは、今やクラブの成長と発展を支えるための知恵と情熱に変わった。

「すべてはつながっている」

現在の内田は四つの役職を一手に引き受けている。クラブ・リレーションズ・オフィサーとして表に立って挨拶し、ファン・サポーターとのタッチポイントを生み出し、地域コミュニティ本部長として自治体や企業と連携し、スポーツセンター代表として地域に寄り添い、スクール事業の統括として事業面からスクールの運営に携わる。いずれも「横浜FC」という看板を背負う一方で、地域とのコミュニティを広げていく大事な活動だ。パラレルワークのように複数の役割をこなしながら「すべてはつながっている」という感覚で動いていると本人は言う。 現役引退後、クラブに戻った当初、内田は「現場の人間」としての視点を捨てなかった。自ら地域に足を運び、自治体や学校と交渉を重ねた。行政との連携は、一朝一夕にできるものではない。活動への理解に時間を要することもしばしば。それでも地道に活動を続けていることで、少しずつ行政側が価値を見出し始めた瞬間があった。そこから、活動は加速度的に広がっていった。 教育機関と連携した巡回教室や、各区役所と協働して区民DAYの開催、さらには指定管理を持つ各スポーツセンターを通じて障害のある方を対象としたサッカー教室なども定期的に開催。地域スポーツの活性化や普及活動に尽力。スポーツは試合だけでなく、文化として根付かなければならない。その信念が、彼の行動の原動力になっていた。 また2022年12月、横浜FCは「マルチクラブオーナーシップ」という新たな挑戦をスタートさせた。ポルトガル2部リーグ所属のUDオリヴェイレンセの経営権を取得。日本の子どもたちが世界へ挑戦できるルートを構築し、横浜FC・UDオリヴェイレンセの事業規模拡大はもちろんのこと、日本サッカーの強化・発展にも貢献している。  彼の仕事観を聞くと、頭の中には絶えず「どうすれば人とつながるか」という問いがあるという。チームの成績が良ければ自然と注目は集まるが、勝ち負けは不確定な要素が多い。それでも、「サッカーを通じてこんなイベントがある」「選手たちと学校でこんな話をした」「スタジアムが地域の人々の交流の場になる」そうした足取りを少しずつ積み重ねることで、人々のコミュニティが少しずつ豊かになる。そこに内田さんは、プロサッカー選手として活躍していた頃とは違う、もうひとつの大きな“やりがい”を見いだしている。 「クラブがここにあるのは間違いなく支えてくれるファン・サポーターがいるから。その想いを形にすることが、僕の役割です。」

地域貢献活動

無駄を恐れるな

中国・戦国時代の道家思想家・荘子は「無用の用」、つまり「一見無駄と思われるものこそ、大きな役割を果たすことがある」という寓話を通じて、人間が勝手に決めた有用・無用の境界を問い直した。よく引用されるエピソードとして「大木の話」がある。材木としてまっすぐな木はすぐ切られてしまうが、歪んだ木は“役に立たない”と放置され、結果的に生き延びて役に立つ、という皮肉まじりの教えだ。 振り返れば、内田さんも「小柄な体格」と評価された時期があった。体格のハンデは競争社会において“無用”とみなされかねない。けれど、その無用さに対して愚直に向き合い、ドリブルを研ぎ澄まし、体力を鍛えて克服した。それが結果的に、横浜FCが、Jリーグが認める彼の武器になった。誰もが“目先の勝利”を追いがちなサッカー界で、こうした一見地味な取り組みこそがクラブの基盤を形成し、「無用の用」として真価を発揮している。 内田さんが見据える事業の未来も、勝ち負けだけにとらわれず、地域に開かれたクラブを維持・拡大していくことにある。ライバルクラブとの比較や経営的なプレッシャーがあるのは当然だが、「続けていけば必ず意味が生まれる」と彼は信じている。 最後に、若者へのメッセージを聞いてみた。 「夢を持つことが大事でその大きさは大きくても小さくてもいい。結局、やってみないと分からない。まず動いてみてほしいんです。僕自身もそうでした。小さい身体でプロは無理だと言われたけど、ドリブルを磨けば何とかなるかもしれないと思った。まわりが否定しても、それが大きな価値に化けることは往々にしてある。無駄を恐れず、むしろそこに可能性があると信じてほしいですね。」 見えない価値を引き出せるかどうかは、その人次第であり、行動次第だ。もし目の前にある道が閉ざされているように見えたとしても、それが新しい道を切り拓くきっかけになるかもしれない。その一歩を踏み出す勇気が、サッカーの歴史を塗り替え、さらには地域の未来をも変える原動力となっていくはずだ。 そして彼は次のようにも語る。「満足した瞬間、成長は止まります。悔しいと思い続けることが、前に進む力になる。だから、現役世代には伝えたいんです。現状に甘んじてはいけない、と。」 横浜FCは、これからも戦い続ける。そして、その先頭には、ウッチーがいる。彼の挑戦は、まだ終わらない。

チームフラッグ