硬い金属にぬくもりを吹き込む会社
綾瀬という地名には、どこか優美な響きがある。実際、神奈川県綾瀬市は相模のなだらかな丘陵地帯に広がり、その名の通り緑や清流を感じさせる静かな場所である。だが意外なことに、市内には鉄道の駅がひとつもない。交通至便な首都圏のなかでは珍しい街だろう。しかし逆に言うなれば駅がないからこそ、綾瀬は独自の街並みを育んできた。自家用車やバスが主要な移動手段となり、人々の暮らしはどこかゆったりしている。かつて農村地帯だった頃の名残りか、広々とした畑や公園が点在し、開放感ある風景が印象的だ。 あまりにも硬く冷たいはずの金属板が、人の手にかかると柔らかに曲線を描く。その妙を可能にするのが板金加工という技術だ。工場内に響く甲高い工具の音色や、精巧な機械のリズミカルな動きの向こうには、職人たちの息遣いが感じられる。板金加工は、金属の特性を読み取り、切る、折る、曲げる、叩くことで求める形を生み出す。自動車の滑らかなボディや精密機器の複雑な部品、家庭用品に至るまで、暮らしの隅々で私たちはその恩恵にあずかっている。 マサミ製作所。その社名を初めて聞いた者は、町工場の響きを感じるかもしれないが、そこに秘められた技術と精神は、むしろ芸術家のそれに近い。神奈川県綾瀬市を拠点とする有限会社マサミ製作所は、1985年に創業された精密板金加工の企業だ。主な事業内容は金属加工であり、レーザー加工、プレス、溶接など高度な技術を駆使して産業車両の部品を製造している。堀内正明という名の、実直な代表取締役が率いている。彼は技術者であり経営者であると同時に、何よりも人との繋がりを重んじる実践者だ。

逆境こそ糧

堀内が金属加工の道に足を踏み入れたのは15歳のときだった。高校受験に失敗し、父親が創業した会社の知り合いの工場で働き始めた。昼間は板金加工の技術を身につけ、夜はウェイターとして別の世界も経験した。その二足の草鞋は、堀内に人間の複雑さや社会の本質を鋭く教えた。働きながら遊びも覚え、時には道を外しかけることもあったが、その経験すらも彼の人間的な奥行きを深めた。 20代の初めにバブル崩壊という激しい経済危機を体験した。勤めていた工場がリストラを行い、自分の居場所を失った彼は、否応なく家業に戻らざるを得なくなった。しかし、堀内はむしろその逆境を糧とした。僅か数名だった家業を引き継ぎ、県主催の商談会に積極的に参加するなど新規開拓に奔走。その結果、今や月間1000点を超える製品を製造するまでに成長した。
仕事は具体化された愛
マサミ製作所が他の町工場と異なるのは、堀内が強調する「ありがとう」という精神だ。会社内で工程が移る際にも、部品を渡す側と受け取る側の間に自然と感謝が流れる仕組みを作り上げている。また、取引先や外注業者との関係でも、堀内は常に感謝の気持ちを伝える。彼が言うには「仕事は人がするもの。だから人を大事にしなければ、良い仕事はできない」のだそうだ。これは単なる理想論ではなく、堀内が長年の経験から体得した哲学であり、現実的な経営手法でもある。 レバノン出身の詩人カリール・ジブランの書いた『預言者』には「仕事とは目に見える形にした愛である」という言葉がある。仕事を単なる労働ではなく、愛の具現化と捉えるジブランの視点は、堀内が日々実践していることと驚くほど重なっている。堀内の仕事に対する姿勢は、まさにこの愛の表現だ。製品一つひとつに職人の技術と情熱が込められ、結果として顧客からも高い評価を得ている。「ありがとう」は決して難しい言葉ではないが、その一言が人を動かし、仕事を円滑にし、会社を成長させるのだと、堀内は語る。

重ね続ける感謝の姿勢
マサミ製作所は、これからの社会変化にも対応する覚悟を決めている。自動化と人の技術の調和を目指し、堀内は設備投資と人材育成の両輪を回す。彼は未来を担う若者に対して「まずはやってみること」「自分に合った道を見極めること」を強く説く。人生の先輩として、若者が自分の可能性を発見し、仕事を通じて成長する手助けを惜しまない。 そして堀内が望むのは、大規模な拡大ではない。顧客が真に求めるものを丁寧に作り続けること、その積み重ねが自然と会社の未来を形作ると考えている。堀内の姿勢に共感し、共に歩もうとする人間は自然と集まってくる。それは彼が常に示す「感謝」という見えない力によって引き寄せられたものだろう。 かつて、江戸の職人たちは手作業で金属を丹念に仕上げ、美しい装飾品や生活道具をつくったという。現代では機械化が進み、生産効率も向上したが、微細な調整や繊細な仕上げは、今なお人間の感覚に頼る部分が多い。金属を自在に操るその技術は、AIやロボット全盛の時代でも、決して機械任せにはできない「手の知性」の領域である。 熟練した職人の手さばきは、ある種の芸術性を帯びる。無機質な素材に生命を吹き込み、人の営みに寄り添う「かたち」を作り出す技。そこには、人間らしい工夫と経験に基づく判断がある。単なる産業技術を超えて、文化とも呼べる厚みが潜んでいる。板金加工を通じて、私たちは改めて気づかされる。技術とは人の心の映し鏡であり、愛というぬくもりを宿して初めて完成を見るのだ、と。
