家づくりの概念を変える男
横浜市都筑区は、横浜市の北部に位置し、かつてはのどかな田園風景が広がる農村地帯だった。しかし、1994年に港北ニュータウンの開発が進み、都市計画によって緑と共生する街としての姿が形成された。広々とした公園、計画的に配置された住宅地、活気ある商業施設がバランスよく配置され、都心へのアクセスも良好であることから、多くの人々にとって理想の居住エリアとなった。 ここに根を張り、横浜の未来を見据えて家を建て続ける男がいる。小泉武彦、三代目経営者。彼の人生は、ただの事業継承では終わらない。彼は、この地に新しい哲学を持ち込み、家づくりの概念を塗り替えようとしている。

「未来は自ら作るもの」

戦後の焼け跡から立ち上がった小泉木材は、祖父の代に創業され、父の代には高度経済成長の波に乗り、儲けの手段としての材木商売に邁進した。だが、小泉武彦の生きる時間軸は、いわゆる「失われた30年」だったと語る。 彼の思考の根底には、自らの経験がある。生まれ育った原体験、家庭環境の違和感、「家や家族の豊かさとは何か?」を問い続けた小泉。家はただの物理的な空間ではなく、そこに暮らす人々の価値観や思い出を形作るものだ。だからこそ、彼はただのビジネスではなく、社会の在り方にまで踏み込む住まい作りを志向するようになった。バブルが崩壊し、日本全体が停滞感に覆われる中、彼はただの材木屋の三代目で終わりたくなかった。 もちろんその道のりは平坦ではなかった。かつての材木業の成功体験にしがみつく業界の旧態依然とした価値観。新しい挑戦に対して懐疑的な目を向ける者も多かった。高性能住宅という概念自体が、一般的な市場ではまだ理解されておらず、投資リスクを指摘する声もあった。 経営者としてのプレッシャーは計り知れないものだった。資金繰り、事業拡大の戦略、従業員の未来、そして業界に新たな風を吹き込む責任。彼は多くの困難に直面しながらも、信念を貫いた。家をただの「商品」としてではなく「未来を支える基盤」として捉え、人々が安心して暮らせる住まいを提供することに情熱を注いだ。だが、変化の兆しもあった。住環境の質を重視する層が増え、エネルギー問題が社会的課題として認識され始めたことで、小泉の取り組みが少しずつ評価されるようになった。そして彼は確信した。「未来は自ら作るものだ」と。
小泉木材の“挑戦”
「自分たちの世代が、この町に何を残せるのか?」そう問い続けた彼は、単なる家づくりではなく、100年後の未来を見据えた「家の概念そのもの」を変える挑戦に乗り出した。彼が求めたのは、高性能で持続可能な住宅。ただ住むための箱ではなく、エネルギーを生み出し、未来の暮らしを支える基盤としての住まい。それは、経済合理性と美学を兼ね備えた、新しい時代の住環境だった。 現在、小泉武彦が取り組む事業は、まさに未来の住宅の在り方を変える試みである。彼が目指すのは、「この町に暮らす選択肢を変える」こと。そのために、彼は従来の住宅建築の枠を超え、長期的に価値を持ち続ける高性能住宅の開発に注力している。具体的には、長期優良住宅の認定を受け、耐震等級3、耐風等級2、断熱等級7など、現時点で考えうる最高レベルの基準を満たした住宅の設計・建設を行っている。 さらに、高性能な賃貸住宅事業にも力を入れている。これまで「持ち家」が当たり前だった日本の価値観を変え、賃貸でも快適に暮らせる環境を提供する。高断熱・高気密の住宅を建設し、エネルギー効率を最大化させることで、住まいのランニングコストを抑え、より多くの人が安心して暮らせる選択肢を広げている。

本質的な幸福を目指して
19世紀のイギリスで、産業革命の波に抗い、「本物の美」を追求しようとした思想家のウィリアム・モリス。機械が生み出す大量生産の家具や建材に反旗を翻し、人の手による温もりと品質を追い求めた彼の哲学は、経済的な効率よりも、住まう人間の本質的な幸福を重視するものだった。小泉武彦が100年続く家づくりにこだわる理由も、これと通底するものがある。 「家は、経済の道具ではなく、まさに生きる場であるべきだと思います。」彼の言葉には、モリスに宿る確信がある。100年後の未来に耐えうる家。適切に管理され、手入れされながら住み継がれる家。それが可能になれば、人々は家のために無駄なお金を使うことなく、より豊かな人生を歩むことができる。 そして、彼は言う。「若い世代には、未来を恐れずに創ってほしい。そう願っています。」過去にしがみつくのではなく、まだ見ぬ可能性を信じること。住まいも、働き方も、生き方も、すべては自分たちの手で形作るものだ。ウィリアム・モリスがアートと暮らしを融合させ、新たな文化を生み出したように。小泉武彦は、住まいと未来を結びつける新しい哲学を、この町に根付かせようとしている。この町に暮らす選択肢を変える。それは、ただのスローガンではない。小泉武彦が生涯を賭けた、未来への挑戦なのだ。
