CHALLENGERS' VOICE
困難こそ受け入れろ
株式会社S.P.COM 代表取締役
小向 力 Koukai Riki

神奈川県川崎市生まれ。デザインを学んだ後、父の経営する看板製作会社S.P.COMに入社。一度退職し別の道を模索するが、父の急逝により、23歳で会社を継承。経営未経験の中、現場に立ち、試行錯誤を重ねながら業務を改善。看板製作内製化を推進し、事業を拡大。現在は全国展開を視野に、新たな挑戦を続けている。

https://s-p-com.jp/

看板に情熱を宿らせる会社

川崎の夜、光る看板がある。その光の裏には、一人の男の熱と覚悟がある。 鉄と汗の匂いがする多摩川のほとり。人が働き、機械が鳴り、無数の看板が街に命を吹き込む。昼は陽光を反射し、夜は光を纏う。それらの看板の裏側にいるのが株式会社S.P.COMの代表、小向力その人だ。株式会社S.P.COMは、看板のデザイン、製作、施工までを一貫して手がける企業である。単なる広告物ではなく、企業ブランドの顔としての看板を作ることを使命とし、最新のデジタル技術と伝統的な職人技を融合させながら高品質な製品を提供している。 看板業界は、決して派手な世界ではない。だが、街を歩けば、無数の看板が視界に飛び込んでくる。その一つひとつに込められた職人のこだわりと、企業の思い…小向は、その両方を背負いながら、看板の未来を作っている。

インタビューの様子

23歳の跡継ぎ

作業の様子

小向は決して「跡継ぎ」として育ったわけではない。デザインを学び、己の感性を磨くことに没頭していた。しかし、父の看板会社に入社すると、そこには彼の求めるものはなかった。無機質な仕事、親子の確執、技術と経営の狭間で揺れる職人たち。わずか1、2年で会社を飛び出した小向。だが、父の呼び戻す声があった。そして、突如突きつけられた現実…父の病、そして事業の継承だった。 23歳、若すぎる社長だった。父はすでにいなかった。指示を仰ぐ相手もいない。社員たちは、不安そうな顔で彼を見つめる。無理もない。看板の見積もりひとつも作れない社長に、誰がついてくるというのか。だが、小向は後ろを振り返らなかった。寝る間も惜しんで仕事に没頭した。経営者というよりも、職人としての技術を叩き込むように、現場の最前線に立った。夜中まで作業し、翌朝も早朝から動き続ける。手を動かしながら、人に教わり、体で覚える。そうしているうちに、経営の本質が見え始める。だが、苦難は続く。頼りにしていた番頭が会社を去ると、社内には看板のノウハウを持つ人間がほぼいなくなった。そこで彼は思う。「もうこれは、俺がやるしかない。」その覚悟が、彼を次のステージへと押し上げた。 経営とは闘争だった。待っていれば何かが与えられるわけではない。考え、学び、実践し、失敗し、また立ち上がる。仕事が終わるのは深夜。目が覚めればすぐに現場に向かう。時には言いようのない孤独が襲いかかる。それでも止まることはできなかった。看板の設計、製作、取り付け、顧客対応。すべてを自ら学び、実践することで、経営者としての視野が広がっていった。右も左もわからなかった小向は、企業の舵取りを担うリーダーへと進化する。 そしてただ生き延びるのではなく、株式会社S.P.COMは成長しなければならなかった。「時代に合わせなければ、置いていかれる。」小向は業界の旧態依然とした仕組みを見直し、デジタル技術を導入した。社員全員にiPadを持たせ、図面や発注をクラウドで管理することで、業務の流れを大幅に効率化したのである。職人たちは最初、戸惑い、反発した。彼らはモニターではなく手で仕事をするスペシャリストだ。しかし、効率化された工程を目の当たりにし、次第にその利便性を認めるようになった。技術だけではない。小向は人との縁を大切にした。取引先の言葉に耳を傾け、現場の意見を吸い上げ、社員に働きやすい環境を整えた。信頼を勝ち取るには時間がかかる。だが、一度手にした信頼は、何よりも強い武器になる。

アイデンティティの具現的存在

看板は、企業のアイデンティティを形にするものだ。だからこそ、単に「安く作る」「早く納品する」だけでは不十分だ。企業のブランディング、顧客の動線設計、そして視認性の最大化。それらを踏まえたデザインと設置が必要になる。 徹底して守るべきものは何か? それは「看板を作ること」ではない。「店の顔」を作ることだ。 「看板はただの広告じゃない。まさに存在そのものです。そこに意志があるんです。」関東を中心に業績は拡大し、全国展開も視野に入っているという小向はこう語る。だが、決して価格競争には陥らない。安かろう悪かろうではない。そこには彼の「真のコストパフォーマンスを極める」という独自の哲学がある。

確認をする小向代表

挑戦する人間のさだめとは

実業家の五代友厚は、激動の時代の中で西洋の知識を取り入れ、日本の近代化を推し進めた。彼が信じたのは、「国を支えるのは商人である」という考えだった。小向もまた、商売を通じて社会を豊かにするという使命を持っている。彼が掲げるのは、単なる看板製作ではなく、日本全国の企業がより良い発信をできる環境を作るという自負。五代が大阪の発展に尽力したように、小向は川崎を拠点に、全国の景色を変えようとしている。 現在、S.P.COMの事業は関東圏にとどまらず、東北から関西まで広がっている。しかし、小向は満足していない。次の目標は全国展開。今はまだ、関東以外の地域では地元業者に依頼することが多い。しかし、それでは限界がある。自社の工場を全国に設け、すべての工程を自社で完結させる。それが、彼の次の挑戦だ。 23歳で経営者になったとき、誰もが疑った。「若造にできるわけがない。」だが、小向は怯まず、現場に出て、顧客と交渉し、学び続けた。その結果、いまがある。未来は待つものではない。掴み取るものだ。五代友厚が大阪を変えたように、小向力は看板業界を変える。そして、街を変える。挑戦は痛みを伴う。しかし、それを避けた者に、何かを創ることはできない。小向の生き方は、まさにそれを証明している。

小向代表