時代に流されず、流れを創る男
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 時の流れは止まることなく、同じように見えても、その本質は常に変化し続ける。鴨長明は代表的な随筆『方丈記』で、この言葉を用いて世の無常を描いた。変わらぬものはなく、人も社会も絶えず変化していく。だが、その変化の中でどのように生きるか、それは今もなお問われるものだ。 そしてこの言葉は、タイセーハウジング株式会社の代表・大久保武史の生き様そのものを象徴しているかもしれない。彼の人生は、絶え間ない変化そして決断が。安定を捨て、理想の家づくりを追求するために歩み続ける姿は、移り変わる時代の中で揺るがぬ信念を貫く強さを持っている。 タイセーハウジング株式会社の創業者であり、代表取締役を務める彼は、神奈川県厚木市を拠点に地域密着型の家づくりを行っている。年間50〜60棟に限定し、職人を固定することで、一棟一棟に魂を込める。その姿勢は、大手ハウスビルダーで役員として年間3,000棟を監督していた頃とは一線を画す。

年収4,000万円より大切なもの

元々、大久保には独立する明確な意思はなかった。営業職として入社した城南建設株式会社(現住宅情報館)。そこで最年少役員に抜擢され、年収4,000万円、約1,500人の部下を抱えながら、年間3,000棟を管理するというまさに経営の最前線に立っていた。しかし、大手企業の管理職としての仕事は、顧客と直接向き合う機会を奪ったと彼は語る。そして2008年、そんな彼の決意が固まった瞬間が訪れる。「本当にお客様のための家をつくりたい。」そして彼は独立する。 だが、時代は最悪のタイミングだったと言っていいだろう。リーマンショック。世界経済は混乱し、多くの企業が縮小や倒産の憂き目にあっていた。金融市場は未曾有の大混乱。世界中の銀行が貸し渋りを起こし、多くの企業が連鎖的に倒産していく状況。日本国内でも大手メーカーがリストラを行い、まさに経済の冬の時代が訪れていた。 「こんな時にやるのか?」誰もが今振り返っても、あの激動の最中で独立をするなんて考えられないに違いない。周囲の誰もが止めた。親族や友人はもちろん、ビジネスの世界で培った人脈も口を揃えて否定した。安定を捨てる理由など、誰にも理解できなかった。しかし彼には明確なビジョンがあった。「今だからこそ、やるべきだ」と、誰よりも強く信じていたからだ。 「本当にお客様のためになる家を作りたい。売るための家ではなく、住む人の人生を支える家を。」創業当初の苦労は計り知れなかった。資金繰りに奔走し、離れていく社員を見送り、時には孤独に耐える日々もあった。それでも、彼を支えたのは顧客だった。過去の仕事ぶりを信じる人々が、「大久保さんの家を建てたい」と頼ってくれたのだ。その積み重ねが、現在のタイセーハウジングを形作っている。
“脱・効率化”
タイセーハウジングの家づくりは、効率化とは対極に位置している。職人を固定し、施工品質を維持し、顧客と深く関わる。大量生産ではなく、1棟1棟をまさに「作品」として扱うのが大久保のこだわりだからだ。 会社を大きくしないのか?と問われることも多々ある。しかし彼は首を横に振ってこう語る。「しませんよ。それをやると、一気に品質が落ちますからね。」数ではなく、信頼と品質。だからこそ、完成した家を見た顧客が感動してもらうように最大限心がけ、入居後のアフターサービスにも力を注ぐのだ。 戦国時代には要塞としての役割を果たし、江戸時代には宿場町として繁栄してきた歴史をもつ、神奈川県厚木市。今では神奈川の中心都市として賑やかなこの街で家づくりに人生を捧げている大久保のその歩みは、まさに「魂の家づくり」と呼ぶにふさわしい。

「何を大切にしたいのか」
「自分が何を大切にしたいのか、そこだけは見失ってはいけません。」と語る大久保。仕事とは、ただ稼ぐだけのものではない。生き方そのものだ。信頼を築き、誠実に向き合い、自分が誇れる仕事をする。それが結果的に、自分を助けることになる。大久保は、自らの経験を通じて、それを知っている。 「簡単に成功なんかするわけないんです。でも誰かのためにひたむきに一生懸命やること、そしてその行動こそ正しいと信じ抜くこと。それが最終的に、自分を救うんです。」彼の言葉には、実体験からにじみ出る重みがある。 そして今日もまた、彼は現場に立つ。図面を睨み、職人と会話し、顧客と向き合う。その目に宿るのは、ひとつの確信だ。
