敬意をもって医療と向き合う男
「なにごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」 12世紀を代表する歌人、西行は歌集『山家集』にこう記した。何がそこにあるのか、何が真理なのかはわからない。ただ、その存在の深さと広がりに対し、ただひたすら敬意を抱き、涙がこぼれるばかりだ。人間の知識には限界がある。どれほど学び、経験を積もうとも、全てを知ることはできない。しかし、だからこそ学び続けることが重要であり、その過程こそがもっとも尊いのだ。 医学の世界もまた、この精神と無縁ではない。治療法が進化し、診断技術が向上しようとも、すべての患者の痛みや苦しみを完全に理解することは不可能に近い。しかし、その限界を認識しながらも、常に知識を更新し、より良い医療を提供し続けること。それが医師の務めであり、学びを止めない姿勢が不可欠なのだ。 神奈川県横浜市、やよいだい整形外科。その扉を開けると、そこには大山泰生院長がいる。病を抱え、どうすればいいのかわからずに訪れる人々に、彼は答えを示す。ときには「ここではない」と他の専門医へ託すこともある。しかしそれは、彼の「よく診て、よく考える」という根底にある哲学が一貫しているが故の、診療スタイルなのだ。

自分の指示を待つスタッフ総勢20名

大山泰生はもともと病院勤務医として17年間働き、数え切れないほどの手術を執刀してきた。しかし、現場に立つたびに、彼の中で何かが変わっていった。患者の命を預かるという重圧、手術の成功に賭ける緊張感、そして何よりも、人間の身体が持つ驚異的な回復力に魅せられた。経験を積むほどに「この技術をもっと追求したい」「患者にとって本当に最善の医療とは何か、考えなければならない」と強く思うようになった。それでも、病院という組織の中では、自分が本当にやりたい医療ができなくなる可能性がある。手術は確かに重要だ。しかし、すべての患者が手術を必要としているわけではない。では、それ以外の治療法を充実させることはできないのか?もっと自由に、自分が理想とする医療を追求する場所が必要なのではないか。 彼は開業を決意した。それは、定年という概念に縛られず、自らのスタイルを貫ける道だった。2007年、やよいだい整形外科が誕生した。勤務医から突然、20人以上の従業員を抱える院長となった。当時の状況は過酷だった。「開業医の孤独は、想像以上でした。」と彼は振り返る。大学の医局に所属していた頃とは異なり、自分が唯一の医師。スタッフ全員が自分の指示を待つ。人事や経営の問題にも直面し、試行錯誤を繰り返した。「開業してすぐは、経営者としてのプレッシャーがとてつもなくすごかった。今度は経営、スタッフのマネジメント、設備の導入、そして患者の満足度すべてを一手に背負う立場になったんです。資金繰りの不安、医療機器の選定、スタッフの教育…すべてが初めての経験でしたから。逆に、だからこそやるしかないと思いました。」 目の前の患者を救うために、最善を尽くす。その覚悟がなければ、開業などすべきではなかった。最初は手探りの連続だったが、少しずつ医院の基盤を固めることができた。そして、年月が経つにつれ、医院は地域に根付き、やよいだい整形外科は「困ったときに駆け込める場所」としての信頼を得るようになった。経営の厳しさを乗り越えるうちに、大山の医師としての視点も変わった。かつては手術の技術を磨くことだけが医療の本質だと思っていたが、今ではそれ以上に「適切な診断と治療の選択」が重要だと確信しているという。開業したことで、より多くの患者に寄り添うことができ、自分の医療観をさらに深めることができたのだ。
元来の“適切な”医療を届けたい
大山の理想は「整形外科のワンストップサービス」だと語る。患者が来院し、必要な診断と治療がすぐに行われる。これを実現するため、彼は自身が納得できる新しい医療機器を導入、スタッフ教育にも力を入れる。「整形外科の治療って、実は医者によって診断も治療方針もけっこう違う。だからこそ、我々がブレてしまわないように、スタッフ陣には徹底して治療方針を共有しています。」 また、患者が不要な治療を受けないようにすることも彼の重要な役割だ。印象的なエピソードを聞かせてくれた。ある日、「腕に力が入らない」と言って来院した患者がいた。最初は整形外科の問題かと思われたが、診察を進めるうちに「脳梗塞」の可能性が浮かび上がった。すぐに脳神経外科へ紹介し、適切な治療を受けることができた。「そもそも整形外科である前に、私は一介の医師です。専門領域の診療科目の考え方で症状を捉えることは前提ですが、それでもなお、領域を超えて考えることが大事ですよね。病気の診断を“自分の専門領域に引き寄せる”のではなく、見えているものを正しく診断するのが我々の仕事の本質です。」医学の世界では、専門ごとに細分化されすぎて、時に患者が正しい診断を受けられないことがある。だからこそ、総合的に診る力がまさしく必要になる。必要ない医療は絶対に押し付けない。大山は患者にとってムダのない治療をモットーにしているのだ。

自分の道を探し続けよ
二浪の末に慶應義塾大学に入学し、その後、アメフトと寮生活に明け暮れた大山。勉強は最小限だったとあけすけに語るが、それでも医学部を卒業できたのは「頑張れば必ず結果がついてくる」という成功体験があったからだとも語る。「とにかくやってみることが大事。失敗するのは当たり前です。挑戦しないと何も始まりません。」 また彼はこう語る。「若者たちには、自分の道を探し続けてほしい。どこかで止まるのではなく、挑戦を続けてほしい。医学の世界でも、ビジネスの世界でも、やるかやらないかの違いは大きいですから。」大山泰生は今日も患者と向き合い、「よく診て、よく考える」医療を実践し続けている。
