海老名で闘い続ける経営者
物流業界、それは経済の血流だ。だが、華やかさもなければ、誰もが羨む仕事でもない。誰かがどこかで荷物を動かし、誰かがどこかで車を走らせる。食べ物が届くのも、家が建つのも、すべてはこの見えない流れによって支えられている。 神奈川県海老名市は、古くは相模国の交通の要所として栄え、江戸時代には宿場町として発展した歴史を持つ。近代に入ると工業地帯としての顔を持ち始め、高度経済成長期には首都圏の物流拠点としての役割を担うようになった。都市と郊外の狭間に位置しながら、物流の要衝として成長を遂げてきた街だ。東名高速道路が貫き、幾千もの車両が行き交う。その片隅に、有限会社共栄車輛サービスの拠点がある。 人はどれほど壮大な理想を語ろうと、現実を生き延びなければならない。家賃を払い、飯を食い、社員の給料を支払い、そしてまた翌日を迎える。そして、現実と闘わなければならない。決して、きれいごとではない。 ここ海老名に、闘う男がいる。田村俊一。有限会社共栄車輛サービスの代表取締役として、会社の命運を背負いながら、数えきれない試練をくぐり抜けてきた男だ。

「助けてほしい」

田村は52歳で代表取締役に就任した。だが、その道のりは平坦ではなかった。先代の父が急逝し、すべてが突如として彼の肩にのしかかった。会社の口座のありかすら分からず、支払い期限は目前に迫る。周囲が凍りつく中、彼は真正面から銀行に向かい、すべてをさらけ出し、支払いの猶予を願い出た。銀行の冷たいカウンターの向こう側で、資金が底をつく恐怖と対峙しながら、彼はひとつの答えを見出した。それは「生き延びること」だった。 「助けてほしい」と正直に伝えた。普通なら資金は凍結され、会社は倒産、田村の物語は終わっているだろう。しかし、彼の誠実さと胆力が奇跡を生んだ。銀行は彼を信じた。結果、彼は一歩目を踏み出すことができた。 それだけではない。その当時、会社は4000万円の債務超過だった。資産はトラック数台のみ、売却しても文字通り焼け石に水だった。それでも彼は歩みを止めなかった。1年間、3時間の睡眠で働き続けた。経営を学び、数字を分析し、営業に飛び回った。弟との確執もなんとか乗り越え、ついに会社に呼び戻すことに成功。結果、売上は右肩上がりに増加。現在では設立当初の2倍以上という驚愕の数字を叩き出している。
徹底した現場の尊重
彼の経営スタイルは異端だ。一般的な物流会社の在り方を覆し、営業と運送を分業化した。彼は徹底して現場を尊重し、会社の利益を最適化する方法を模索し続ける。そして、債務超過だった会社を立て直しただけでなく、新たな事業を次々と立ち上げた。そして合同会社共栄自工、有限会社共栄陸送を設立。すべては未来の物流を見据えた戦略だった。 だが、経営戦略以上に彼が大切にしているものがある。それは「人」だ。社員の生活を守るために、利益の大部分を給与に還元している。ある年、ドライバーの年収を100万円以上引き上げた。その結果、会社には若い力が流れ込み、組織は活性化していった。 彼の言葉には重みがある。「今の時代、社員は家族以上の存在。経営者は社員の生活を守る義務があります。」それは単なる理想論ではない。彼自身が最前線に立ち、誰よりも汗をかいてきたからこそ、言葉が響く。

苦しみの中でこそ人は成長する
19世紀ドイツの経済思想家ヴェルナー・ゾンバルトは『近代資本主義』の中で、企業家の「英雄的精神」を説いた。企業を単なる利益追求の場ではなく、社会を変革する使命を持つものとして捉えた。田村こそ、まさにヴェルナーの視点を持つ稀有な経営者といえよう。 彼の挑戦はまだ終わらない。物流業界は大きな転換期を迎えている。2024年問題と呼ばれる労働規制の強化が到来し、ドライバー不足が深刻化している昨今。だが、彼はこの危機をあえてチャンスと捉える。「既存の枠組みにとらわれない最適な輸送ネットワークの構築」を目標に掲げる彼の視線の先には、新たな物流の形が見えているのだ。 若者たちへ、彼はこう語る。「苦しい時ほど、実は自分を試せる絶好の機会なんです。乗り越えた先にしか、本当の成長はない。ですが乗り越えた瞬間、今までとは全く異なる景色が広がると思います。」人は苦しみを避けたがる。しかし、苦しみの中でこそ、人は本当の力を知る。田村はそれを体現した。彼の人生は、教科書に載ることはない。だが、確実に何かを変えている。 田村俊一という男は、単なる経営者ではない。彼は海老名でこれからも闘い続ける。組織のため、社員のため、そして未来のために。
