CHALLENGERS' VOICE
商売は正直に
和光産業株式会社 代表取締役社長
矢口 寛志 Yaguchi Hiroshi

1959年、神奈川県川崎市に生まれる。幼少期から父の事業を手伝い、現場での経験を積む。大学時代にアメリカ留学を経験し、広い視野を得る。1978年に和光産業に入社し、1986年に営業部長、1988年には代表取締役社長に就任。極力外注に頼らず自社社員で業務を担う方針を貫き、緊急対応力とサービス品質を向上。地域社会との連携を深め、官民連携事業などを推進する経営を行っている。

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都市を磨き続ける職人集団

大倉喜八郎、その名前は大倉財閥として日本経済史における生ける伝説となっている。明治・大正という激動の時代に、己の信念と情熱で企業を興し、数々の逆境を乗り越えてきた彼の歩みは、多くの実業家の模範となった。大倉の物語は、単なる成功談ではなく、社員一人ひとりが自己の可能性に気づき、互いに助け合い、共に未来を築くという生きた哲学である。 川崎の街は、産業と人情が交錯する活気あふれる場所だ。高層ビルの合間から見える青空、そして手入れの行き届いた緑地。ここ川崎市は、単なる工業都市ではない。人と人との温かな繋がりと未踏の領域を目指す挑戦とが共生する街である。そんな川崎で、まるで大倉の意志を体現するかのごとく、風通しの良い企業文化を実現するために、古い体質を打破し、若い力が自由に羽ばたける土壌を作り上げてきた男がいる。その姿は、川崎の青空の下で、今なお力強く輝き続けている。 静かに、しかし力強くその存在感を放っている和光産業株式会社。1960年の創業以来、この会社はただのビルメンテナンス業ではなく、都市の快適性を守る「職人集団」として、確固たる地位を築いてきた。同社の舵を握り、時代の荒波を乗り越え、今もなお現場との絆を深め続けているのが、代表取締役社長の矢口寛志である。彼は地元の温かさと厳しさを身に受け、そして海外の大学で日本という国を客観視する経験を経て、自らの経営観を確立していった。

インタビューの様子

アメリカで感じた現実

インタビューの様子

1959年、矢口は神奈川県川崎市に生を受ける。幼少の頃から父の事業を間近で見て育ち、清掃の現場ではポリッシャーを扱い、社会人になる前からすでに仕事の流儀を身につけていた。しかし、彼はただの二代目ではない。むしろ、そこからの歩みが、彼の本当の物語の始まりだった。大学時代、彼はアメリカへと渡った。日本の枠を超えた視点を持つこと、それが彼の経営者としての感性に大きな影響を与えた。異国の地で学んだのは、何事も自らの手で切り拓くことの重要性。そして、世界は日本の小さな枠組みの中だけで完結しないという現実だった。 矢口が和光産業に初めて足を踏み入れたのは1978年。親の事業を引き継ぐという運命に身を委ねながらも、彼はただの後継者に留まらず、自らの頭で考え、風通しの良い企業文化を築き上げる決意を固めた。1986年には取締役営業部長に就任し、たった2年後の1988年には代表取締役社長となり、現在もその手腕を存分に発揮するに至る。 矢口はトップダウンな古い体質を一新し、現場で働く社員一人ひとりのやりがいや成長を最優先に考える経営を推進してきた。彼が実践するのは、ただ数字を追うだけではない。社員とのコミュニケーションを何よりも大切にし、現場の声に耳を傾け、その場その場で最適な判断を下すという、迅速かつ柔軟な対応力である。特に緊急対応時においては、自前の社員が一丸となって動くことで、従来の業界常識を覆す、異常ともいえるレスポンスの速さを実現している。

利益より大切な「誇り」

海外の大学で学んだ経験から、日本という国を内側からだけではなく、外側から客観的に捉える視点を得たという矢口。その経験は、彼にとって大きな転機となり、これまでの常識に囚われない革新的な発想の源泉となっている。たとえば、川崎市政100周年のプラチナートナーとして感謝状を受けた時、彼は「この街の未来を、自分たちの手で切り拓いていく」という確固たる決意を新たにした。環境衛生の向上や、床ワックスのリサイクルを通じたCO2削減など、環境問題に対しても積極的に取り組む姿勢は、現代の企業家に求められる社会的責任を見事に体現している。 そして和光産業は政府との官民連携にも積極的だ。従来、官が行っていた業務を受注できるようになるという大きな挑戦の中で、矢口は「我々がやるべきは、単なるビジネスの枠を超えて、社会全体の利益を追求することだ」と、常に先を見据えた経営戦略を打ち出してきた。神奈川県という拠点において、東京のような過密状態や業者の乱立といった問題が少ない環境を生かし、独自のやり方で地道に事業を展開。その結果、和光産業は着実に成長を続け、従来の柱となる事業を基盤としながらも、新たな分野への挑戦を積極的に進めることで、未来への扉を開いている。 矢口寛志、この男の信念は明確だ。「働く人がハッピーであること」ただそれが、会社の成長に直結する。そして「現場の人を守る」これはビジネスのためではない。彼の哲学だ。時には、理不尽な要求をするクライアントに対し、毅然と「こちらからお断りします」と伝えることもある。利益よりも大切なものがある。それは、現場で働く社員たちの誇りであり、会社の魂そのものなのだ。

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これからも誠実な商いを

大倉喜八郎が考え方の手本としていた人物がいる。商人出身の思想家として江戸時代に活躍した石田梅岩、彼は「商いは正直と誠実が基本であり、人を欺くことなく、社会に貢献することで真の利益が生まれる」と説いた。矢口もまた、間違いなく同じ志を持っている。 未来に向けて、矢口は決して無闇に事業拡大を目指さない。むしろ、質を高め、技術と人材を磨き続けることに力を注ぐ。機械化が進む時代においても、「人間にしかできない仕事」の価値を大切にし続ける。新たな技術を取り入れつつ、最も大切なのは「人」であるという信念を貫いていく。 「誠実に働くことが、人生を豊かにする。」これは梅岩が説いた「正直の商い」にも通じる考え方だ。働くことは単なる労働ではなく、社会とつながる手段であり、そこに誠実さがあれば、必ず道は開ける。矢口自身が、その証明である。 和光産業は、単なるビルメンテナンス業ではない。そこには、「働くことの意義」と「人を大切にする文化」が根付いている。この哲学のもと、矢口寛志はこれからも、川崎の街とともに歩み続ける。

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