転職市場を照らす若き変革者
熊本の加藤清正が築いた熊本城と、神奈川の港湾都市・横浜が開国で果たした役割は、異なる時代に異なる形で日本の「開拓」を象徴する。偶然か必然か、この二つの土地を背景に持つ男、山下雅弘が、今、新たな開拓者として立ち上がった。株式会社APILLOX。その名はギリシャ語の「無限大」を意味する「アピロ」と、変革を表す「X」を組み合わせたものだ。 2024年8月8日に設立されたこの会社は、たった1人から始まり、「1人目」という独自の採用マッチングサービス「Hitorime」を武器に、企業と求職者を結びつけるIT事業を展開している。 「固いってすぐ言われちゃうんですよね…笑。」山下雅弘、株式会社APILLOX代表取締役社長。インタビュー開始直後、彼は笑いながらこう言った。だが、その軽妙な口調の裏には、鋼のような意志と熱が宿っている。「挑戦を身近に感じる社会を作りたい。」彼のその言葉は、まるで熊本の火の国の情熱と、神奈川の海風のような柔軟性を融合させた、何かを感じる。

逆転合格と父の死

山下雅弘の人生は、情熱と挫折、そして再起の調和と言っていい。大阪大学出身。一浪して逆転合格を果たした彼は、すでにその時点で「やらざるを得ない環境」を自ら作り出す才能を示していた。「家ではご飯と面白いテレビしか見ない。塾に行ったら携帯を触らず勉強する。これを徹底していました。」この切り分けが、彼をビリギャルばりのセンター試験180点アップへと導く。そして新卒で選んだのは、大手ではなくベンチャー企業。「みんな、富士通とかパナソニックといった大手中の大手企業に行きましたね。でも僕は独立を見据えてたから、尖ったところに行きたかったんです。」 彼の選択は、周囲の常識を軽やかに蹴散らすものだった。そして、入社わずか4ヶ月後の8月には副業を開始。「ビビリな性格だから、いきなり独立は怖くて…笑。」と彼ははにかむが、その慎重さの中に燃える野心は隠せない。1年で副業での時給を倍にし、個人事業主へ。そして節税対策として法人化。まるで階段を一つずつ確実に登る登山家である。 だが、彼の人生を大きく決定づけたのは、同じく経営者として活躍していた父の死だった。大学時代、頑固でぶっきらぼうな父が亡くなった時、彼は衝撃を受けた。「父の葬儀では、会社の方々が血縁関係でもないのに泣いてた。家じゃ頑固親父だったのに、仕事に真っ当に向き合ってたんだって、初めて気づきました。」その瞬間、山下の中で何かが弾けた。「純粋にかっこいいなって思った。自分も死ぬ時にこうなりたいと思いました。」この原体験が、彼の人生のゴールを定めた。父の姿は、彼にとって鏡であり、挑むべき山だったのである。 そしてエンジニアとしてフリーランスになった期間中、彼はあるスタートアップで「1人目エンジニア」として働いていた。そこは5、6人の小さなチームだったが、彼は正社員さながらにフルタイムで関わり、採用や他のエンジニアメンバーへの指示出しまで担った。「業務委託を超えて様々な経験をさせてもらいました。そのときに気づいたんです。『これだけやらせてもらえているのって、もしかして自分が1人目だからなんじゃね?』って。」その気づきが、「Hitorime」の種となった。他の転職サイトでは埋もれる様々な企業の「1人目ポジション」を、求職者に届ける。それが彼の戦場だ。
「1人目」の価値
もはや終身雇用が美徳とされた時代は過ぎ去った。今や転職は若者の特権ではなく、中高年の日常にもなりつつある。売り手市場と呼ばれる転職戦線、求職者は条件を吟味し、企業は人材を求めて右往左往。人を選ぶ側だった企業が、いまや選ばれる側に立たされ、時代の潮目は静かに、だが確かに変わった。 「Hitorime」は、単なる採用サービスではない。山下は言う。「求職者には『挑戦したい気持ちがあれば、ここは宝の山だよ』って伝えたいですね。」彼の仕事へのこだわりは、徹底した「特化」にある。他の媒体が何万件もの求人を並べる中、彼は「1人目」だけに絞り抜いた。検索の母数が下がれば、自分に合ったポジションがもっと簡単に見つかる。嘘がない前提が担保されている。この潔さが、山下の強さだ。 企業にとって、最初のメンバーは組織の文化を形作り、事業の方向性を定める礎だ。山下氏自身、先述のとおりフリーランス時代に「1人目エンジニア」として小さなスタートアップに参画し、採用や指示出しまで担った経験を持つ。「裁量を持って仕事できたし、責任感がより一層あって楽しかった。」そう、採用における「1人目」の価値は在る種、春の種まきに似ているのだ。一粒の種が芽を出し、やがて大木となる可能性を秘める。 彼はまた、自己成長への執着を隠さない。「今後の不満点や改善点は、AIでなんとかできないかとつねに考えています。エンジニアとして勝負してきた経験をどうにか活かしたい。」デザインの限界を感じれば人を巻き込み、事業を磨く。「今後、もしかしたら会社名は変わるかもしれない。でも、挑戦を身近に感じる社会を作るっていうミッションが変わることはありません。」Z世代の「働きたくない」ムードに抗って、まるでドラクロワの絵画のように旗を振る彼の姿は孤独な戦士のようだ。だが、その孤独は、彼を突き動かす燃料でもある。 「父の事務所に今でも電話がかかってくるときがあります。嬉しいと同時に、やはり無念な気持ちがどうしてもある。だからAPILLOXは、無限に変革を続けて、現代社会と人々の心に残る会社にしたい。」彼の声には、熱と覚悟が滲む。

ニッチこそ至高
1877年から1940年を生きたアメリカの伝説的株式トレーダー、ジェシー・リバモア。自己流の手法で市場を読み、1929年の大暴落で巨額の利益を叩き出したのは周知の事実である。彼は群衆の熱狂に流されず、独自の視点でリスクに飛び込み続けてきた男だ。「市場は決して間違っていない。間違っているのは人の意見だ。」この至言はリバモアの冷徹な洞察を表していると言えよう。 もしかしたら、山下雅弘こそ、まさにリバモアが投資対象として目を輝かせる原石と言えるかもしれない。なぜか? 山下は、誰も見向きもしない「1人目」というニッチを見抜き、そこに全力を投下する。リバモアが株価の動きに賭けたように、山下は社会の潜在ニーズに賭けている。彼の「Hitorime」は、市場の隙間を突く鋭い刃だ。 山下の事業への想いは、未来へと伸びる。「Hitorimeが愛され続けるプロダクトになってほしい。起業を志す若者がHitorimeで自分を大きく成長させる会社にであい、そこで経験を積んで、今度は自分で会社を起こし、Hitorimeを使ってまた次の起業を志す若者と出会う。そんなサイクルを作りたい。」彼の目は、父の遺した事務所を超え、国さえ変えるビジョンを見据える。 成長を求める求職者と、未来を切り開く企業。その出会いが、この「Hitorime」という小さな窓から始まるならば、転職市場の春は、もう少し色鮮やかになるだろう。 山下雅弘。彼の「Hitorime」は、単なるサービスではない。それは、彼の人生そのものだ。
