CHALLENGERS' VOICE
限界は伸ばせ
有限会社みどりや 代表取締役
吉永 裕行 Yoshinaga Hiroyuki

1972年長崎県生まれ。1991年に高校卒業後、内装仕上げ業界で働き始める。1996年に個人事業として「吉永内装」を設立し、2006年に法人化、「有限会社みどりや」を創業した。耐火被覆・アスベスト対策の専門家として実務経験を積み、同分野で20年以上のキャリアを持つ。

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姿なきリスクと闘う会社

戦後、高度経済成長を牽引した京浜工業地帯の中心として、川崎は日本経済を支える大動脈の一つだった。海沿いに並ぶ製鉄所や化学プラントは、今なお重厚な存在感を放っている。しかし近年では、産業構造の変化に伴い、街の表情も徐々に変わってきた。そんな川崎市では、いま耐震化や老朽化対策など防災への取り組みも進む。特に「耐火」や「耐震」を重視した改修工事は、地道ながら欠かせない。なかでも耐火性を高める板金加工や鉄骨補強、耐震工事などは、まさに「命を守る技術」だろう。川崎市を見ると、街は人間の営みの映し鏡という表現が思い浮かぶ。 ビルや住宅が林立する街を歩いているとき、建物の安全性を疑うことはあまりない。しかし、壁や天井の向こう側には、万一の火災から命を守るための技術が施されている。「耐火被覆工事」と呼ばれるものである。耐火被覆とは、建物の柱や梁などの構造体に耐火性の素材を吹き付け、炎や高熱から鉄骨を守ることをいう。鉄骨は意外にも熱に弱く、高温にさらされると短時間で強度を失う。ビル火災などで被害を最小限に抑えるためには、この工事が不可欠なのだ。一方で、かつて耐火被覆材には、安価で性能が優れていたためにアスベスト(石綿)が多用された。繊維状で空中を漂うこの物質は、吸い込むと肺がんや中皮腫を引き起こすことが知られている。時を経て、その危険性が明らかになると、社会は慌てて石綿の除去を進めた。しかし、一度建物に使われた石綿の処理には高度な技術と細心の注意を要する。アスベスト対策工事の現場では、作業員が特殊な防護服とマスクを身にまとい、厳重な飛散防止措置のもとで工事を進める。空気中への飛散を防ぎつつ、安全に撤去するには技術だけでなく経験も求められる。目に見えないリスクと闘う彼らの作業がなければ、安全な生活環境は保てない。 有限会社みどりやは、その奥深い世界に真正面から飛び込み「わかる人にはわかる」領域で地道に、かつ大胆にイノベーションを続けている企業だ。建築の耐火被覆工事やアスベスト対策を中心に、内装仕上げ・解体工事などを一手に担っている。創業者であり代表取締役を務めるのは、吉永裕行。大手ゼネコンの現場でも頼りにされるほどの技術と柔軟性を持つ。その背景には、彼自身の苦労と叩き上げられた克己心が大きく映っている。

貫き続ける粘り腰

生まれは長崎県。異国情緒漂う港町で育った彼は、どこか開放的で新しいものを好む性格でもあったようだ。「いずれはサラリーマンではなく、自分の手で何かをやってみたい」その思いが具体的な形を帯びたのは、高校卒業後にふと始めた建築現場のアルバイトだった。重たい資材を持ち運び、埃まみれになる。けれど、自分の仕事が空間をつくり、人の暮らしを支えることにやりがいを感じた。そうしていつしか「現場で汗を流す生き方」が肌に合うようになった。 いくつかの下積みを経て、個人経営の内装事業「吉永内装」を立ち上げたのが1996年。当時は「明日のご飯を食べるのに精一杯」で、先を深く考える余裕はなかったという。だが、この必死さこそが彼の原動力だった。家系が商売人気質ということもあり、「やるならとことん、まずは目の前の仕事に食らいつく」という態度で突き進んだ。その粘り腰は、後に会社を大きくするうえで欠かせない武器となった。 バブル崩壊後の「失われた20年」。激しい価格競争の中で、受注単価は低迷し、従業員の生活を守るために自らの給料がほとんどなくなった時期があった。彼は、まるで荒波の中を漕ぎ続ける孤独な船頭のように、逆境と向き合った。周囲が安売りに走る中、決して譲れないのは「人を守る」という熱い思いであった。 最大の転機は、ある大型百貨店の改修工事だった。横浜駅近く、賑わいの絶えない商業施設の改修を任された際、工事の不備から2階フロアの営業を一時停止に追い込んでしまったのだ。百貨店にとって、フロアの閉鎖は収益にもブランドイメージにも大打撃。吉永は責任を感じ、「もう二度と工事で人の生活を止めたくない」「安全かつスピーディな施工こそがプロの証だ」と強く胸に刻んだ。この反省が、後にみどりやの強みである「自動化機器の開発」につながる。某大手ゼネコンの主催するコンペでアイデアを具体化し、2年連続で金賞を受賞するほどの機械を作り上げたのだ。ここに「失敗を糧にする」精神と「より安全で効率のよい施工を追求する」という強い探究心が詰まっている。しかし吉永は、こういった数々の困難も、現場で冷静な判断とブレない芯を持って取り組む幹部社員たちの献身的な支えがなければ、まず乗り越えられなかったという。彼らには感謝しかない、と。その言葉には、たしかに熱があった。

限界は伸ばせ

みどりやの事業内容は幅広い。内装仕上げから解体工事はもちろん、熱絶縁工事や耐火被覆工事、アスベスト対策工事など、人命に直結する分野が中心だ。特にアスベストの除去工事は、厳格な法令遵守が求められる一方、リスク管理や専門知識、保護具の整備など、現場力が物を言う。吉永自身も「社員が安全に働けないと、お客様に安全を提供できない」と考えており、最新の技術と設備を導入することでリスクを最小化している。こうした姿勢が評価され、大手ゼネコンや大規模解体業者からの信頼は厚い。 今やみどりやは、厳しい労働環境の中でも「現場で働くという誇り」を胸に、着実な進化を続けている。吉永は自身の経験を基に、単なる技術力の向上にとどまらず、従業員一人ひとりの成長と安全を最優先に考えた経営方針を打ち出している。建築現場という、誰もが華やかな舞台とは言えない領域においても、彼は「細部に宿る神」を信じ、現場での一瞬一瞬を丁寧に刻みながら、未来への礎を築いている。 吉永は日々の仕事において、常に「限界値を伸ばす」という理念を掲げている。どんなに困難な状況でも「限界」とは固定されたものではなく、ひたむきな努力によっていつかは突破できるという信念。その姿勢は、若者たちにも大きな影響を与え、部下からは「現場の先輩」として尊敬される存在となっている。現場での安全管理や自動化機器の導入など、技術革新を恐れずに次々と新たな試みを実施し、結果として多くの困難を乗り越えてきた彼の生き様は、まさに「挑戦する経営者」の象徴である。  「努力した者だけが、栄光を掴む権利がある。」彼が座右の銘として掲げるこの言葉は、あながち精神論だけではない。実際、彼は自動化されたロックウール吹付解綿機の開発や女性スタッフの登用など、具体的な行動によって結果を出してきた。女性が活躍しにくいと言われがちな建設業界で、若手の女性スタッフを積極的に採用し、役職につける。彼いわく、「社員は自分の子どもみたいなものだから、できる限り成長の機会を与えてやりたい。」上から目線ではなく、親身になって育てる。この姿勢が、みどりやが他社と一線を画す理由だろう。

継続こそ力なり

ヨーロッパに「雨垂れ石を穿つ」(Gutta cavat lapidem)ということわざがある。小さな一滴の雨が、何度も繰り返されることで固い岩に穴をあけるように、日々の地道な努力を積み重ね、ひとつひとつの小さな挑戦がやがて大きな変革へとつながることを信じ続ける。決して華やかで一発逆転のドラマではなく、むしろ苦労の連続の中にこそ、真の成長と成功があると、彼は語る。 吉永がこれから目指すのは「次の世代へ事業を継承していくための土台づくり」だ。より良質な顧客を獲得し、持続的に成長していく企業を育てること。女性社員をはじめとする若いスタッフには、積極的に経験を与え、役職につけ、自分よりも優れたリーダーを育てたいという。「いずれ、若い人たちが自分を超えてくれたら、それが一番の喜び」と笑う。そこには、かつての貧しい自分を奮い立たせてくれた建設現場のやりがいが宿っているのかもしれない。 ぼろぼろになりながらも会社を育ててきた。失敗の痛みを知りながら、そこから立ち直ってきた。社員を家族と呼び、自らの技術力を磨くために自動化装置までも開発してしまう。吉永の物語を聞いていると、地味に見える建設現場が、実は人間の可能性を試す最高の舞台に思えてくる。アスベスト除去や耐火被覆工事を安全かつ確実に行うことは、社会的インフラの一部を担う重大な使命だ。それを、社員も家族も、そして地域も一緒に笑顔になれる形で進めていく…その風景を、彼はずっと追いかけている。