CHALLENGERS' VOICE
自分だけの光を形作れ
株式会社LightNix 代表取締役
慶野 幸司 Yoshino Koji

1997年、神奈川県立住吉高校卒業。一般企業にアスリート社員として就職後、黒澤フィルムスタジオで照明技術を学び、映画『キル・ビル』や『座頭市』などの大作に携わる。その後CMやミュージックビデオ、ライブの照明を手掛け、国内外のアーティストとも多数共演。現在は独立し株式会社LightNixの代表として、照明技術を駆使した映像制作に力を注いでいる。

https://lightnix.work/

照明をあやつる詩人

Mon âme vole sur le parfum, À un ciel charmant et fatal.(私の魂は香りに誘われ、青く靄(もや)のかかった二つの川のあいだにある、魅惑の島へと旅立つ。) 象徴主義の先駆者であるフランスの詩人シャルル・ボードレール(1821-1867)。代表作『悪の華』では、美と醜、快楽と退廃が混在する世界を独自の言語感覚で描いた。都市の喧騒や退廃的な美意識を詩に落とし込み、のちの詩人や芸術家に大きな影響を与えた。この詩は彼の作品のひとつ「異国の香り(Parfum Exotique)」から採ったものである。この一文には感覚を揺さぶり、現実を歪ませ、読者の意識を変革する強烈な力がある。 光を操る男・慶野幸司の人生もまた、詩のように劇的だった。光や香りのような非物質的な要素が空間や感情を形作るように、彼のライティングは単なる技術ではなく、感覚を揺さぶる魔術だ。映像の世界では、光は欠かせない要素の一つ。影が輪郭を作り、色彩が感情を引き立てる。光の操作こそが、映画、CM、ミュージックビデオの命脈を決定づける。株式会社LightNixの代表を務める慶野はまさにその魔術師だ。彼の手がけるライティングは、単なる技術ではない。美学であり、哲学であり、彼自身の生き様そのものといえよう。 「ライティングによって世界観を台無しにすることもできるし、引き立てることもできる。」詩の言葉選びのように、ライティングもまた然り。慎重でありながら、大胆でなければならないのだ。

慶野社長

タランティーノとの出逢い

慶野社長

彼が照明の世界に足を踏み入れる前、彼の人生は全く異なる方向へ進んでいた。神奈川の高校を卒業し、慶野は野球に人生を捧げる道を選んだ。プロではないが企業チームの一員として、日々泥まみれになりながら白球を追った。しかし、週末も試合、休みらしい休みは正月だけ。周囲の友人たちが自由に遊び回る中、彼の人生は「野球一色」だった。「とにかく辛かった。もう無理だなと思ったんですよ。」プロを目指せる環境ではなかった。夢の道ではなかった。結果として、野球から離れ、営業職に就いた。だが、それも地獄だった。未回収の手形を取り立てる日々。川崎の工業地帯を回り、潰れそうな会社の社長と目を合わせる。経済のどん底で、希望が見えない社会の末端に慶野はいた。嫌というほど現実を見た。何かを変えなければならない。 その時、彼の目に飛び込んできたのは「黒澤フィルムスタジオ」の求人広告だった。映画好きだった彼は、運命のようにその扉を叩いた。「入社したら映画監督になれるのかと思ったんですよ。でも、入ってみたら照明の仕事だった。正直、最初はまったく興味がなかったんです…笑。」しかし、彼は照明の奥深さに次第にのめり込んでいく。師匠である黒澤組伝説の照明技師・佐野氏の指導のもと、現場の厳しさと美しさを学ぶ。 そして、運命の瞬間が訪れる。「クエンティン・タランティーノの『キル・ビル』の撮影現場に行けと言われて。訳もわからず行ったら…あれは別世界だった。」1キロ近くに及ぶライティング、控え場所に並ぶ数十台の電源車、ケータリングのシェフが焼くステーキ。そしてタランティーノの視点。すべてが圧倒的だった。「このスケールが映画なのか。ハリウッドなのか、という。圧巻でした。」彼はその時、照明の可能性に目覚めた。 その後、彼はさらに多くの映画やCM、ミュージックビデオの現場に立ち続けた。『座頭市』では北野武監督のもとで、影と光のコントラストを最大限に生かした照明演出を学んだ。さらに、数々の国内外のアーティストのミュージックビデオに携わり、照明の技術だけでなく、映像全体の世界観を創る力を身につけていった。「光の当て方ひとつで、作品の印象がまったく変わる。そこが面白いんですよ。」彼は現場を経験するたびに、自らのクリエイションに磨きをかけ、新たな挑戦に挑み続けた。

無限の可能性

現在、彼はCMやMV、映画、ライブのライティングを手掛けながら、自らのプロダクションLightNixを運営している。「縁あってこの仕事を始めたけど、本当に素晴らしい出会いばかりです。」過去には、若いアーティストのMVをプロデュースしたこともある慶野。その時の印象をこう語る。「今の若い人たちは、評価の仕方がわからないだけで、いいものを見ればちゃんと『これはいい』って言うんですよ。」彼は、ただ光を作るのではない。人々の感情を動かすために光を操っていくのだ。 「照明っていうのは、画に色を塗る最後の筆なんです。」監督が描くビジョン。カメラマンが構図を決める。そして、照明がその世界に命を吹き込む。セットの中に「昼」を作り、「夜」を創造する。慶野にとって、照明はただの技術ではなかった。 「自由なんですよ。カメラはアングルが決まる。演出も決まる。でも、照明は無限にやり方がある。」彼のライティングは、現場ごとに変化する。こうするべき、などという決まりはゼロ。自分でその可能性を生み出すこともできるし、潰すこともまたできる。すべてはその瞬間、その作品に最適な形を探し続けることだった。例えば、ある映画のシーンでは、登場人物の心情を映し出すために微細な光の揺らぎを用いる。別のCMでは、商品の印象を最大限に引き立てるため、光の色温度を微調整しながら撮影する。「抽象的にたとえると、照明はただの明るさではなく、情感を伝えるための手段。赤みがかった光は温かみを、青白い光は冷たさを、影の配置は緊張感を生む。それをコントロールするのが照明技師の役割なんです。」 また、彼は照明の可能性を広げるために、日々新しい技術や手法を研究し続けている。LEDの進化、AIを活用したライティング、さらには自然光を巧みに取り入れたシーン設計など、従来の枠にとらわれないアプローチを模索している。「どんなに技術が進んでも、最終的に作品を決定づけるのは人間の感覚じゃないですか。照明は単なる光源ではなく、観客の心に残るものを生み出すアートなんです。」

慶野社長

クリエイターとして

「若い照明技師がよく『どうしましょうか』って聞くんですよ。正直なところそれが本当に嫌いなんです。」照明は受け身の仕事ではない。求められるのは、監督の指示を待つのではなく、自らのビジョンを提示することだ。監督やカメラマンが全体の構図を考えるように、照明もまたストーリーの重要な要素を担っている。光の角度、色温度、強弱、そのすべてが感情を作り、映像の質を決定づける。「まずは作る。そして、違うと言われたら修正すればいい。最初から答えを求めるのは全く違いますね。」 若手技師たちに必要なのは、自らの感性と経験に基づいた判断力だ。どんなに指示を受けたとしても、それを解釈し、より良いものへと昇華させるのが職人の役割である。撮影現場では、時間そして空間の制約が常につきまとう。しかし、限られた条件の中で最良の照明を生み出せるかどうかが、プロとアマの違いを決定する。 「照明技師は単なるオペレーターではない。映像を創るクリエイターなんです。」 慶野は、野球から営業、工場勤務、映画の世界へと、いくつもの選択を経て今の場所に辿り着いた。「仕事は楽じゃないです。だけど、好きなら続けられます。好きな仕事を続けたいなら、見つけたいなら自分で考えて動くしかないです。受け身のままでは何も変えられない。」 彼がこれからも求めるのは、ただの技術ではなく、まさにその瞬間にしか生まれない光にほかならない。光があるから影が生まれる。そして、影があるからこそ、光は際立つ。それは、まるで人生のように。  

慶野社長